弱者は目が濁っている

弱者故に明察が備わっているという神話を木っ端微塵に粉砕したのはニーチェである。


大昔に天才がとっくに論破しているのに、弱者に天与の明察が備わっているという神話は世に根強い。弱者という言葉が「主語が大きすぎる」のであれば、貧困者・病人・政治的マイノリティ・天災被害者・孤独者・引きこもり・精神疾患者・フェミニスト・性同一障碍者・異邦人・無国籍者・・・


遺憾ながら僕が属している属性もいくつかある。それ故にというか僕にも根拠のない「思考の明察が天与されている」と心の底で思い込んでいた。5年超の孤独なSOHO生活でそれが完全に融解して立派な劣等感が育ったようにおもうw


弱い立場・被害者に明察が備わっているというとネトウヨではないが隣の国の一部の人たちを連想してしまう。明察プラス倫理的優位にも立っているとも思っているようだ。これと隣国にキリスト教徒が多いのは無関連ではない気がする。キリスト教を由来とした病的な新興宗教が始まっているのも精神風土関連性があるのだろう。


逆に日本は国民がニーチェを知っているとも思えないのに「弱者権力」にメチャクチャ厳しい。特にバブル崩壊後の後半の10年は弱者権力を振り回す人間は多くの憎しみを受けるようになった。このメンタリティが強いのはいわゆる「ネトウヨ」層だが、ネトウヨを嫌悪する人たちにも「弱者の権利横行」にはネガティブな感情を持っている人が多い。ネットの炎上案件の半分ぐらいはこういうメカニズムになっている。


伏流するメンタリティは「弱者を持ち上げたところで景気がよくなるわけではない」「不景気でパイが減っている中、既得権益弱者の取り分はむしろ増えている」「サヨクの上から目線に謙虚さが感じられない」あたりだろうか。


ただ「弱者を叩くのもまた弱者」というねじれはあまり意識されていない。底辺で社会資源の奪い合いをしているのが実情のように思える。となると大きな構造で日本全体が弱者根性を嫌うのはなぜだろうか。「実質上、日本は米国の属国」であることだろうか。保守論壇の人たちの本音は「過去に負けた戦争を認めたくない」ではなくて、「今現在、属国としての日本の国力の足枷に苛ついている」というのが本当のところではないか。


ただ日本では「米国を敵視するのはサヨクの仕事」というねじれがあるので右翼・保守論壇の人たちは米国の批判はまずやらない。こうかんがえると保守論壇に爽やかさが欠けるのは「彼らの情熱の源もまたルサンチマン」であるところにあるからだとおもう。

輝け 火を噴け

吉田は輝いた


佐賀県の山奥で


そして火を噴いた


佐賀県の山奥で


せめて関東地方なら・・・

けいまん

ケイマンで資金洗浄したいな


貯金はないけど


なくても洗浄したい


無から何かが生まれてきたらいいのに


ケイマンで資金洗浄したいな